ニシンと数の子 その2
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さてさて前回の続き、ニシンのおはなしです。
大阪に出張したとき必ず立ち寄るのが千日前にある「信濃そば」、ここはダウンタウンをはじめ吉本芸人に古くから愛されている店で、いつも“身欠きニシンそば”を頼んでいます。
しょっぱくて脂が乗った身欠きニシンを甘露煮にして、昔ながらの関西だしと一緒に食べると、これまたとっても美味しい。
あー、近いうちに用事を作って大阪に出掛けたいなぁ…。

身欠きとは身の一部を鉤取った意味があります。
さて、身欠きニシンの作り方なのですが、指でエラを外して、腹を割いて内臓、卵、白子を取り除き、処理を終えたこれらを縄に通して、日に当てて乾かします。
おおよそ3日ほどすると身はほとんど乾くので、乾いた魚を二つに切り開き、背骨を取って腹側を捨て去り、また一か月ほど干しあげて、こうして身欠きニシンの出来上がり。

身欠きニシンを作るのに、食塩など何も使わずにただ干し上げるだけなのですが、よくも腐りません。
腐らない理由として、ニシンの身に含まれている脂や、脂の中に含まれている“不齢化物”が細菌の繁殖を抑えていることが挙げられます。

身欠きニシンの歴史はとても古く、1717年(享保2年)に刊行された“松前蝦夷記”には、北海道の代表的な加工品として“鰊身欠”を取り上げています。
江戸時代に北海道を支配していた松前藩は年貢として身欠きニシンを取り入れており、40貫(150キロ)を“一石”として計測していました。
ちなみに、廃藩置県がされた明治時代以降も石高単位は課税単位の数値として地租改正まで用いられています。
1897年(明治30年)、北海道のニシン漁獲量は最高潮に達しており、130万石(97万5千トン)を記録しました。
これは尾数換算すると約30億から40億尾ともいわれています。

冷蔵・冷凍技術がなかった頃、特に魚や肉など動物性タンパク質が手に入りにくい山間部などでは、身欠きニシンは非常に貴重なタンパク源とされておりました。
身欠きニシンは北海道から本州向け北前船にどっさり積み込まれて、本州の各地へ流通されていたのです。
京都では“にしんそば”が名物料理でしたが、その話は以前「ニシンと関西の深くておいしい関係」に詳しく綴っております。
是非、ご覧くださいませ。

画像出典元:http://bimitankyu.blog80.fc2.com/blog-entry-54.html

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