マダイあれこれ その3

鯛と日本人の関係のお話について、まだまだ続きます。
歴史の話になると止まらなくなってしまうのです…今回もお付き合いくださいませ!

平安の貴族社会では鯛が特別な魚として扱われていたことを前回綴りましたが、その名残は現在も実はあるのです。
幕末まで天皇の昼御膳は毎日「鯛の塩焼き」が供されており、京都御所では大阪湾で獲れた鯛を使っておりました。
板元や吟味役、御膳番、女官などの手によって御膳が造られて、天皇の御前に運ばれてゆきます。
鯛の塩焼きは白木の三方に載せられており、神主が神様にお供えをする様と同じです。
天皇の昼御膳が鯛の塩焼きだった理由として、“めでたい”鯛を食べることが吉事とされており、この吉事によって国民に幸せをもたらすとされていました。

さて、今上天皇が即位された1990年(平成2年)、1月から1年間に渡り礼・大嘗祭が執り行われておりましたが、同年11月12日、即位を祝う饗宴の儀では鯛を使った様々な料理が供されており、平焼(切り身の塩焼き)、お造り、姿塩焼き、鯛ヒレのすまし汁、鯛そぼろのかやくご飯の5品が献立にありました。
現在も皇室の祭事では、鯛は必要で重要なものなのです。

鎌倉時代以降になると貴族から武士の社会に変遷してゆきますが、戦に勝つ縁起が大切な武士にとって鯛は大切な存在であり、さらに存在が増してゆくものでした。
戦国時代は陣中に鰹と鯛を届けることが必ず行われていました。
鰹は“戦に勝つ”、鯛は“戦勝祝い”の願掛けという意味合いがありました。

豊臣秀吉は朝鮮出兵のとき、大阪城にいる生母・大政所の元に玄界灘の鯛を送りました。
魚の保存技術が乏しい時代、時間が掛かる長距離の輸送で且つ魚の旨味を損なわないために鯛を塩で包んで焼いたのでした。
これが鯛の「塩釜焼き」の始まりとされています。

江戸時代になると徳川将軍家でも大名屋敷でも盛んに鯛が食べられており、江戸では鯛は「大位」と当て字され、とても持て囃されていました。
そして武士以外に商家でも鯛は非常にあやかるべき存在だったのです。
七福神の一人であるえびす様、釣り竿で鯛を釣り上げた姿が特徴的です。
商家の人々は福の神のえびす様に商いの成功と末長い継続を祈っていたものでした。
今でも商売をする人たちは、えびす様は大切な存在ですよね。
鯛は日本人にとって食事として供する以外に、信仰の存在としてなど文化に深く根付いています。
画像出典元:http://kzfishing.com/Cooking/Cooking-5.htm

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